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「ちりめん細工」の歴史

江戸文化の薫りを伝える

江戸時代後半になると、武家や商家などの裕福な家庭の女性たちによって、花と動物の小さな袋物、巾着、人形、玩具、小箱などが縮緬の小裂で作られました。これらは、香袋、御守り、宝物入れ、あるいは琴爪入れとして使用されていました。

江戸後期の風俗を書き記した『守貞漫稿(類聚近世風俗志)』(喜田川守貞著/ 天保8・1837年~幕末期)によると、京坂(阪)地方では、縮緬や他の絹裂を縫いつないで作った様々な大きさの「段袋」が流行していたこと、五色の縮緬裂を風車状にねじった「ねじり袋」、子どもの守護札などを収める巾着などが盛んに作られていたことが分かります。

このころの作品には、亀甲(六角)、七宝、菱などの吉祥文様をつないだ袋物、大陸の風俗を題材にした唐子人形の袋物、達磨や福助などおめでたい人物を題材にした小箱や巾着、きりばめや押絵の手法で作られたたばこ入れや楊枝入れ、懐中物など、江戸文化の薫りを伝える数々の作品があります。

押絵・きりばめ細工 - 小箱(幕末期)

舞楽に用いる鳥兜が御簾の前に置かれた小箱も、源氏香文様と朝顔を組み合わせた小箱も、王朝風の優雅な題材を用いた幕末期の作品です。「源氏香」は、数種類の香を聞き当てる組香遊びの一つで、25包の香を5包ずつ聞き、答えを源氏物語の巻名(図)で表します。源氏香文様とは、この図のことをいい、幾何学的な形でありながら、貴族的な世界を象徴する独特の趣があります。小箱の源氏香文様は、「胡蝶」の巻を表します。

鳥兜の小箱
源氏香文様と朝顔の小箱

押絵 - 小箱(幕末期)

「きりばめ細工」や「押絵」で飾られた小箱は、江戸時代後期には盛んに作られていました。円形や四角形、菱形などに加え、人形や動物、植物や器物などをかたどった小箱も少なからず残されています。
これらは、「押絵」の手法を用いて、やわらかく、仕上げられた幕末期の作品です。紅色の縮緬が作品の風格を高めています。

左から姫達磨形小箱、福助形小箱
左から蔦の葉形小箱、小槌形小箱

押絵 - 唐子と布袋の貝桶形小箱(幕末~明治期)

布袋と楽しげに遊ぶ唐子たちが「押絵」で表された貝桶形小箱。貝桶は本来、一対で、中に「貝あわせ」の遊戯に使用する蛤貝が収められる容器ですが、その貝桶の形を模しています。
布袋は、中国の唐時代末期、浙江省明州に実在したとされる僧侶。子ども達に何か物を与えては、その傍らで楽しげに笑っている布袋の姿は、絵画の題材としてもよく知られています。
中国には、「多子多福」といって、多くの子どもがある家や村には多くの幸せが訪れるという民俗信仰がありました。幸せを呼ぶ唐子の意匠は、古い時代に中国から伝えられたものです。

きりばめ細工 - 踊る唐子の袋物(底絵・梅にうぐいす)(幕末期)

紫色の縮緬地に、三人の唐子が踊っている様子が「きりばめ細工」で表された袋物です。
底を返すと、早春を思わせる水色の空に繊細な白梅、鳴く音が聞こえてくるような生命線に満ちたうぐいす。紫、紅、萌黄、浅葱色などの縮緬の風合いも優しく、幕末期に好まれた色調を伝える作品です。

押絵 - 雪中筍堀の袋物(幕末~明治初期)

中国の二十四孝の一人、孟宗が冬に筍を食べたがる母のために祈りをささげたところ、竹林に筍が生えたという故事にならって、『本朝二十四孝』の一人、慈悲蔵が母のために雪中から筍を掘ろうとする場面を表した袋物。紅色の底面に「きりばめ細工」で描かれた「雪」の白い文字が、洒落た印象を与える袋物です。

明治・大正時代の女学生達のちりめん細工

女学校の教科書(明治~大正時代)

明治時代に入ると、ちりめん細工は女学校の教材として取り上げられ、女学生達は、伝承に基づきながら、意匠をこらした作品づくりを競い合いました。

明治27年、金田孝女が著した『女学裁縫教授書』をはじめ、『裁縫おさいくもの』(明治42年刊)、『続裁縫おさいくもの』(明治45年刊)、『裁縫おもちゃ集』(大正5年刊)など、ちりめん細工(裁縫お細工物)に特化した教科書が次々に出版され、女学校や裁縫塾などでも使用されました。

八重梅の巾着(明治中期~末期)

藤本トシ子さんは、人生儀礼をたどりながら、そこに登場する細工物の数々を紹介した著書『花がたみ』(平成13年刊)の中で、明治・大正時代の女性たちにとって、「細工物はお針を卒えてからいくものと決まっていたようですから、お細工物が出来るということは、裁縫は一通り習い終えたことを意味し、誰も彼もが出来ることではないだけに、少し誇らしく、とても楽しい習いごとであった」と書いています。

お細工物は、女学校だけでなく、裁縫塾などにおいても、高等な技術を要するものとして、盛んに取り上げられていたようです。

古作品(明治~大正時代)

日本玩具博物館へ寄贈された「ちりめん細工の中には、寄贈者本人が女学校時代や裁縫塾での修行時代に精魂込めて制作したもの、また、母親や祖母の形見の品として大切に保管されていた作品が何点もあります。

橋本まきさん(明治後期生まれ)のお細工物

橋本まきさん(明治後期生まれ)のお細工物

大正初期頃に、岡山の裁縫学校で製作されたもの。
羽根や眼などの細部は、地元の日本画絵師に依頼して筆を入れてもらったそうです。
当時、女学生たちが作品を縫いあげると、女学校や裁縫塾の教師がそれらをまとめて絵師のところに送り、目鼻や細かな表情を描いてもらって完成させることも少なくありませんでした。

津谷ミネさん(明治36年生まれ)のお細工物

津谷ミネさん(明治36年生まれ)のお細工物

大正末期に大阪の裁縫塾で勉強し制作された作品(左から、星のがらがら、底絵花かごの袋物、蝶袋)
「底絵・花籠の袋物」は、底面に金糸で編んだ籠と「つまみ細工」の菊花や藤、牡丹があしらわれており、高度な技が光る作品です。

津谷ミネさん(明治36年生まれ)のお細工物

斉藤貞子さん(大正初期生まれ)のお細工物

斉藤貞子さんが、女学校時代に工夫をこらして作り、大切に手元に残しておられた昭和初期のお細工物。創作力が光る作品です。

  • 柿の実袋=全長9cm
  • 百合根袋 高さ×幅=4.5×6.5cm
  • 胡瓜袋=全長15cm
  • 唐辛子袋=全長11cm
  • 柘榴袋 高さ×幅=8.5×8.5cm
  • 菊花袋 高さ×幅=5.5×15.5cm

※全て昭和初期

女学校の教科書

明治中期から大正時代にかけて、女学校の教科書として使用されたちりめん細工の文献は、江戸時代の武家や商家などの女性たちが伝えてきた手芸の心と技を集大成したもので、それらを新時代の女性へと受け渡していく役割を果たしました。

明治42年刊の『裁縫おさいくもの』の趣旨をみると、ちりめん細工を女学校の教材に採用する目的として、手指の技術の向上、美的鑑識力の発達、ものを大切にする心、心の養成をあげています。小さな残り布も無駄にせず、配色や形の美しさに配慮する感覚、それらを暮らしに生かす知恵と技を育てようとした女子教育の目的が示されています。

これらの文献は、ちりめん細工の復元には欠かせない文献となっています。

花袋の色々
小さな布裂をも大切にする心、四季折々の情景を暮らしに取り入れる感性が育まれました。

『女学裁縫教授書』明治27年(1894)/金田孝女著/金田孫三郎(大阪)刊

『女学裁縫教授書』(明治27年)

この教授書は、裁縫全般について心得とともに解説されたもので、ちりめん細工は、この教授書下巻の中で「裁縫細工物」として取り上げられています。

「裁縫細工物は、能く僅かな裂屑を集めて、種々の動植物、其他様々の形を美麗に細工するものにして、女子に取り最もおもしろく、最も適当なる業なり、是れ我国の布、絹、綿、紙の他邦に優りて、精良なるによれるものなれば、此上一層の工夫を凝し、我国の一美術ともなさんことを努むること肝要なり…」と、まずは、その心得が示されています。

そして、お細工物に用いる器具、和紙の裏貼り、紐の作り方などについて、基本的な手順を説明した後、蛤袋やひよこ袋、猫袋、海老袋、梅巾着、這い子袋など17種類の作品が型紙付きで紹介されています。

仕上げたお細工物は、茶入れ、菓子入れ、琴の爪入れ、鍵入れなどとして使用し、高度な技を駆使した作品は、暮らしに美を添える袱紗や屏風に仕立てよう、と記されています。

『女学裁縫教授書』(金田孝女著/金田孫三郎(大阪市)刊/明治27年)に描かれた裁縫お細工物勉強会の図です。
先生を囲んで、生徒たちは円弧に並び、蛤袋、柿袋、折り鶴袋など、自分たちの作品を披露しています。中に、年長の少女が脚のある丹頂鶴袋と蓑亀袋を披露していますが、高度な技を要するお細工物です。
ワイヤーで脚が付けられた丹頂鶴袋と、尾房の長い蓑亀袋。教授書に描かれたお細工物は、このような作品ではなかったでしょうか。
七宝つなぎ袋(明治期)
鶏の親子袋(明治中~末期)

『裁縫おさいくもの』伊藤文子、小川錠子、高田久子(共立女子職業学校教師)著/大倉書店(東京)刊/明治42年(1909)

この教授書は、裁縫を教える教科書として、日本各地の女学校で使用されたものです。
「本書は、各学校の女子手芸教材に資し併せて生徒成績品展覧会に於ける、制作上の参考資料たらしめんとす」、また「本書は、家庭に於いて、布片節約利用の方便として、廃物たらんとする残片を以て、有益なる家庭要具を制作せしめんとす」と凡例にあり、用と美を兼ね備えた物づくりの心と技を若い女学生たちに教授しようとしたものです。

総論として、技巧、配色、全般的な制作要項が取り扱われ、その後、ねずみ、兎、蝶などの小袋、雌雄の鶏、三猿などの飾置物類、背守、飾り紐などの飾綴物類、兎、瓢、おかめなどの巾着にわけて、約60種類の細工物の作り方が型紙付きで解説されています。

明治42年の発刊ですが、日本玩具博物館の所蔵書の中には大正11年、第39版と刷りを重ねたものもあり、教科書として、長く愛され続けていたことがわかります。

兎形巾着 ( 明治末 ~ 大正期 )

『続 裁縫おさいくもの』伊藤文子、遠藤錠子、高田久子(共立女子職業学校教師)著/大倉書店(東京)刊/明治45年

明治42年刊の『裁縫おさいくもの』の続編として発刊されたもので、兜・鴛鴦・文福茶釜・木兎(みみずく)などの小袋、朝顔、蜜柑、桔梗などをかたどった針刺類、菊花、桜、梅などをかたどった肘附(突)類、手提袋類、ペン拭類、座り猫、座り兎などの置物類、巾着、玩具類などの項目に分けて、約80種類の細工物の作り方が型紙付きで解説されています。

『続 裁縫おさいくもの』は、『裁縫おさいくもの』と並んで、当時人気のあった女学校用の教科書でしたが、本書の「はしがき」には、「…小学校技芸教育に於て、あまり実用的の制作品をなさしめ能はざるとき、又は細目中の欠陥を補ふとき、又は興味を基礎として教授せざるべからざるとき等は、本書中の二、三を選みて教授せば、最も便利なるべし…」とあり、当時、小学校においても、基礎的な細工物が取り上げられていたことがわかります。
実際に、日本玩具博物館の所蔵書の中には、小学校の蔵書票が貼られたものもあります。