復興への取り組み
私は1963年から日本各地の郷土玩具を収集し、女性の手になる姉様人形や手まりなどに魅せられました。1970年に神戸の古書市で明治42年(1909)出版の『裁縫おさいくもの』大倉書店刊を入手し「ちりめん細工」の存在を知りました。同書の口絵にはカラーで桜袋・うさぎ袋・にわとり袋・蝉袋・鶴袋・人形袋などが紹介され、39種類もの作品の作り方が型紙と共に掲載されており、ものを大切にする心や手先の器用さを養い、教養として女学校で教えていたことを知り驚きました。しかし、昭和に入ると生活様式の変化や戦争による混乱の中で忘れられ、作る人もなくなった状況を知りました。
1984年、当館に来館された方から『裁縫おさいくもの』を探していると聞き、同書をお貸したところ、翌年にお礼として30点もの復元作品をお届け下さったのです。
1986年にその作品と所蔵品を展示したところ、地元の神戸新聞に大きく取り上げられ、作りたい希望者が大勢ありました。そのため同書を基に勉強会を始め、1990年には参加者で「ちりめん細工研究会」を立ち上げ、メンバーを講師に毎月講習会が始まりました。受講者は地元からだけでなく、遠く関東・中部・四国・九州など全国各地から大勢あり、それら受講者の皆様が現在、全国各地で講師として活躍中です。
ちりめん細工という言葉は私が考えた造語です。昔は裁縫お細工物と呼ばれていましたが、それでは難しいので「ちりめん細工」とやさしい言葉を考え、1994年にNHK出版から出版した『伝承の布遊びちりめん細工』以降、出版物や展覧会などで使ったのが市民権を得たのです。その後、講師の皆様が復元や創作された作品の数々を私が監修して、婦人生活社・雄鶏社・日本ヴォーグ社などから、10数冊ものちりめん細工の本を出版。「お細工物」は「ちりめん細工」の名で復活しました。
ちりめん細工が盛んに作られていた江戸から明治時代頃の着物用の縮緬は、薄くて伸縮性のある二越縮緬でした。しかし現在の縮緬は厚くて伸縮性がなく、良質の作品を作るには明治期の二越縮緬の再現が必要なことに気付き、丹後の織元の協力を得て再現に取り組み、2年の歳月を経て1998年に成功しました。昔の織機で織るため1日に1反余しか織れず、さらにその二越縮緬を京都の老舗の染屋の協力を得て、一反ずつ型染めしていただき、明治期の型友禅の再現に2002年に成功したのです。しかし高価なために卸売りはしないで皆様に直販することを考え、完成した二越縮緬を「古風江戸縮緬」と名付け、再現した柄を紹介する見本帳を作りました。このHPにはその復元した型友禅を紹介していますので、どうぞご注文下さい。
文化遺産を守る博物館として、ちりめん細工を集大成して後世に遺したいと江戸や明治期の古作品を収集し、当館講師陣が復元・創作した作品などを合わせると、新旧併せて4千点にもなり、当館3号館では新旧の作品約400点を常時展示しています。
当館は1986年からちりめん細工の復興に取り組んできましたが、一地方の私設博物館が取り組んだ伝統手芸の復興活動が全国的な大きなブームの引き金になりました。1997年には伊豆の稲取温泉の旅館組合の方が来館され、地域興しとしてちりめん細工を雛祭りにつるして飾る行事を復活したいので了解をと申し出られ、翌年から始まり大成功。その後、九州の柳川や山形の酒田でも復興し、それが瞬く間に全国各地の雛祭りでも行われるようになったのです。
1998年には大阪の阪神百貨店の依頼で「ちりめん細工展」を開催したところ大勢来館下さり大成功しました。しかし残念なのはそれを見た業者が、その後、中国製のちりめん細工を作り、京都などで販売を始め、現在も続いていることです。
ちりめん細工は、アメリカやヨーロッパのパッチワークキルトや韓国のポシャギ等に対しても遜色はなく、日本女性の優れた手の技と美意識を表現した文化遺産です。いつの日か海外からも高く評価される日が来ることを心から願っています。
日本玩具博物館館長
日本玩具博物館
Since 1974ちりめん細工の伝承と普及に取り組んでいます。
日本玩具博物館は1974年に設立。6棟の建物からなり、子供や女性の文化に光をあて、それらを後世に伝えることを目的として、活動しています。
ちりめん細工作品は江戸時代から現代によみがえった資料まで4000点を所蔵しています。
展示活動や講習会、ちりめん細工の材料供給など伝承と普及のために多彩な活動を展開しています。
世界文化遺産・姫路城の北東約10㎞の田園地帯にあり、土蔵造の6棟に日本をはじめ、世界160の国と地域の玩具資料、約9万点を所蔵する私立博物館です。
〒679-2143 兵庫県姫路市香寺町中仁野671-3 Googleマップで見る
- TEL
- 079-232-4388