押絵
「押す」とは「貼る」に通じ、絵を部分に分けて型紙を起こし、厚紙を切り、布片で綿を包んで貼り合わせていく手芸です。
京都・宇治の興聖寺にある東福門院作の「紀貫之像」が最も古い押絵と知られています。
江戸時代に宮中の女官達の間で始まったとされる押絵は、やがて江戸城大奥に移り、それが武家の女性達にも広まっていきました。明治時代、押絵は女性達のたしなみとして、女学校の教材に盛んに取り上げられました。
ちりめん細工作品の中では、巾着や小箱、袋物の底などにこの技法がよく用いられています。
押絵・きりばめ細工・切り付け - 三十六歌仙香箱揃
外箱の蓋表には、『源氏物語』「紅葉賀」の名場面が、蓋を返すと「胡蝶」の名場面が表されています。
『源氏物語』中、秋と春の陶酔感を表現して双璧をなす二つの場面。これらを配した外箱に収められるのは、三十六歌仙とその代表歌を象徴する三十六個の小箱です。「押絵」「きりばめ細工」「切り付け(貼り絵)」の手法を駆使して、見事に作り込まれたお細工物の傑作。蓋裏の「源氏香文様」が示すように、これらは香箱ではなかったでしょうか。
押絵の型紙
江戸時代の終わりから明治時代にかけて、押絵の手法で様々な画面を作り、縁飾りを付けた巾着が数多く制作されていました。押絵の画面の後側は袋物に仕立てられています。
日本玩具博物館が入手した幕末から明治初年の型紙箱には、巾着の画面に用いられる押絵の下絵が40種類ほど収められていました。木版刷りの元絵を薄紙に写し、それを部分ごとに分けて切り取り、押絵の型として使用しました。恵比寿、大黒、福助、三番叟、招き猫、籠に鯛などの型紙が多く、めでたい絵柄が好まれたことがわかります。
きりばめ細工
「きりばめ」とは、布地の一部を切り取った後、別裂をその形に切り取ってはめ込んだものを言い、高い技術を要しました。細かな曲線を縫いつなぐには、絹糸の縒りをほどいて1本に裂き、摩擦などで糸が毛羽立つのをふせぐため、指に薄い糊をつけてしごき、一針ごとに細かい返し縫いがなされました。江戸時代に完成された技法で、ちりめん細工の袋物や袱紗などに多用されてきました。
きりばめ細工の手法を用いた袋物の製作途中を示す資料からは、美濃紙などで裏張りがされ、絵の輪郭を描くように、小さな針目で縫いつないであるのがよくわかります。顔の表情は、きりばめ細工が完成した後、地元の絵師や絵の上手な人に依頼して、描いてもらう場合が多かったようです。
つまみ細工
大正3年刊の『女子技芸撮み細工全書』によると、つまみ細工は、江戸中期の頃、京都の康照卿によって考案され、宮中の女官達の手を経て、今日に伝承されたものとあります。
江戸時代は、竹製のピンセットや糊を延べる小板などの道具を用い、「丸つまみ」「角つまみ」の折り方で小片を作り、簪や櫛、薬玉などを飾っていたようです。薄絹や縮緬の小裂を使い、家庭の女性達の手で細工された作品も多数残されています。